●「生かされる」か「生きていく」か
先日ある方に人生について聞かれました。人生を「生かされている」のか、「生きている」のか聞かれたのです。これは人により答えが異なるでしょう。人生とは王道に沿って決まっている、もしくは、他の人々があるから自分があると認識している人は「生かされている」と答えるでしょうし、自分の意思で道を切り開いて未来へ進んでいくものと認識している人は「生きている」と答えると思います。
しかしながら、僕自身は「その両方である」と答えました。決められた部分もあるけど、選択の部分も大きいと思うからです。
決められた部分というのは摂理の部分の事です。両親が出会わなければ生まれてこないわけですし、もっと言えばご先祖様がいなければ、今の僕はこの世にいないわけです。又、人は人の助け無しでは生きていけません。人は絶対に1人では生きていけないのです。そういう意味では、生かされている、産んでくれてありがとう、助けてくれてありがとうという感じですね。
しかし、ある程度自我が芽生え、親の保護を離れる頃からは「生きていく」事になるのではないかと思います。人生は自分の選んだ方向にしか進みません。今の自分の人生は自分の選択の結果にすぎないです。もちろん自分の人生を生きていない人もいます。でも自分の道を「生きていく」チャンスは皆平等に与えられているのです。
対極的な視野を持つ人、つまりモノゴトを大きな視点で捉える人は、自分は「生かされている」ただの小さな存在だと理解している人も多いです。それはある意味真理です。でも、それで全てを片付けてしまっては「生きる」価値がなくなってしまいます。
自分の人生を「生きる」事ほど心が燃えるものはありません。人生の終焉を迎えた時に、自分の人生を「悔いなく生きた」と言えるかどうかってのは重要な事だと思います。「懸命に生きる」という記事でも書きましたが、今までの人生を後悔するような人生だけは生きたくないものですね。
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